競馬ファンにはお馴染みの名馬、ウオッカ。近年ではウマ娘で彼女のことが改めて注目されています。その輝かしい成績とライバル・ダイワスカーレットとの数々の逸話が多くの人々を魅了し、永遠の名馬として語り継がれています。この記事では、ウオッカの生い立ちから競走成績、引退後の活動に至るまで、その魅力に迫ります。どのような背景を持ち、どんな影響力を持っているのか、ウオッカのすべてをご紹介しましょう。
1. ウオッカの輝かしい競走成績
日本競馬界において名を刻んだウオッカは、非常に輝かしい競走成績を誇ります。2006年10月29日に京都競馬場でデビューし、2010年に引退するまでの間に、数々の勝利を収めました。ウオッカの競走生活を振り返り、その成績の素晴らしさについて詳しく見ていきましょう。
1.1. デビュー戦からの連勝
ウオッカが初めてのレースに出場したのは2007年4月。デビュー戦も魅せる走りで勝利を収め、2戦目の黄菊賞は2着でしたが、3戦目でG1に初挑戦し、見事阪神ジュベナイルフィリーズを勝ちました。ここからチューリップ賞まで3連勝し、3歳春のクラシックである桜花賞を迎えます。この連勝によりウオッカは関係者やファンの注目を集め、有力な競走馬と目されるようになります。
1.2. クラシック三冠への挑戦
初戦の桜花賞
ウオッカは阪神ジュベナイルフィリーズを勝っていましたし、前哨戦のチューリップ賞でも勝利して目下3連勝中でしたので、桜花賞では1番人気に推されます。阪神ジュベナイルフィリーズ2着、チューリップ賞と同じく前哨戦のフィリーズレビューを勝ったアストンマーチャンが2番人気。そしてチューリップ賞2着のダイワスカーレットが3番人気でした。
ウオッカはレースで中団を走行し、直線で先頭に立ったダイワスカーレットを追走しますが、捕えきれずダイワスカーレットの2着に惜敗しました。
牝馬として日本ダービーに挑戦
桜花賞後、ウオッカ陣営は日本ダービーへの出走を決めます。ウオッカの父・タニノギムレットもダービー馬であり父娘制覇を狙えたこと、そして生産牧場(カントリー牧場)がダービーでの4度目の勝利(これまでタニノハローモア、タニノムーティエ、タニノギムレットの3勝)を狙っていたことなどが挙げられます。
日本ダービーは重賞3勝馬フサイチホウオー、皐月賞馬ヴィクトリーに続く3番人気でした。牝馬が日本ダービーに出走するのは、ビワハイジ以来11年ぶりのことでしたし、阪神ジュベナイルフィリーズを勝っていたとはいえ、2400mは未経験でしたので、単勝オッズも10.5倍でした。
ウオッカはスタート後に中団後方の馬群の中で控えます。第4コーナーを回って最後の直線に向いた後、ウオッカは自信をもって先団へと突き進んでいきます。先頭を走っていたアサクサキングスを捉えると、強烈な末脚を発揮し、2着に3馬身差をつける圧勝劇を見せつけました。これにより、1943年のクリフジ以来、64年ぶり3頭目の牝馬による日本ダービー制覇の偉業を成し遂げたのでした。
クラシック最終戦の秋華賞は
秋のクラシック最終戦は秋華賞を選択しました。凱旋門賞に挑戦するプランもありましたが、発症した蹄球炎の影響で調教に遅れが生じ、この遠征は断念することになります。代わって秋華賞へ直行することになりました。
1番人気に推されたウオッカでしたが、2番人気桜花賞を勝ったダイワスカーレットとのオッズ差は0.1です。ほとんど人気が拮抗していたと言えるでしょう。
レースはヒシアスペンとダイワスカーレットが引っ張る展開となり、ウオッカは中団後方に待機します。そのままレースは進んでいき、3コーナーから4コーナーでダイワスカーレットが先頭に抜け出ました。ウオッカはは直線で勝負を仕掛けるも、粘るダイワスカーレットとレインダンスを捉えられずに3着。宝塚記念8着につづいて敗戦することになります。
1.3. 引退までの華々しい戦歴
クラシックシーズンを終えたウオッカは、その後同年のジャパンカップや有馬記念に出走するも勝つことができませんでした。翌年2008年に安田記念を勝ち、日本ダービー以来の勝ち星を手にすると、ダイワスカーレットとの名勝負がいまも語り継がれる天皇賞・秋を制します。
さらに2009年には前年は惜敗したヴィクトリアマイルにリベンジし見事優勝、そして安田記念を連覇しました。ジャパンカップも優勝し、G1を7勝(2006年阪神ジュベナイルフィリーズ、2007年日本ダービー、2008年・2009年安田記念、2008年天皇賞秋、2009年ヴィクトリアマイル、2009年ジャパンカップ)する偉業を達成しました。
2. ウオッカの血統について解説
ウオッカはその高い能力により、多くのレースで好成績を収めました。その素晴らしい能力について血統の観点から迫っていきたいと思います。
2.1. ウオッカの父系に関して解説!
ウオッカの父は日本ダービー馬のタニノギムレットでした。タニノギムレットの牝系を見てみると、7代母に名牝・ムムタズマハル(Mumtaz Mahal)がいます。母のタニノクリスタル自身はタニノギムレット以外に重賞馬を出せていませんが、その母タニノシーバードは重賞馬のタニノスイセイ(父はゼダーン)を出しています。
グロースターク(Graustark)のクロスが入っていますね。グロースタークはリボー(Ribot)の子で、圧倒的なスピード能力を備えた競走馬でした。故障により早々の引退を余儀なくされてしまいましたが、BCクラシックを勝つ馬を輩出しています。
タニノ系(カントリー牧場)の牝系はとてもロマンがある血統ですよね。カントリー牧場産のビッグウィーク(父はバゴ、母はタニノシャドール)は、5代血統表の中にジェベル(Djebel)やモスボロー(Mossborough)がいます。これはヨーロッパ、凱旋門賞を意識した血統を積み重ねてきた努力が垣間見えます。
2.2. ウオッカの母系に天馬トウショウボーイ
ウオッカは勝負所での強さも際立っていました。緊迫したレースでも、冷静かつ確かな判断で最後の直線を駆け抜ける姿が多くの競馬ファンを魅了しました。また、ダイワスカーレットとの歴史的名勝負であった天皇賞秋で特徴的でしたが、最後の直線で離されたかに見える展開からも巻き返して勝利するなど、まさに勝負強い馬であったと言えます。
母系の血統にトウショウボーイがいます。オールド競馬ファンにはとても馴染みがある競走馬ですよね。いつかトウショウボーイについての記事も書いていきたいと思っています。トウショウボーイの母系にも実はムムタズマハル(Mumtaz Mahal)が含まれています。トウショウボーイからさかのぼること6代前ですね。ウオッカの類まれなる勝負強さは、天馬トウショウボーイからもきっと受け継いだものなのでしょう。
4代前にダンディルートの名前もありますね。この馬はビゼンニシキの父である馬で、ビゼンニシキはシンボリルドルフと同期で、シンボリルドルフとともにクラシック戦線を賑わせました。少し遠い血縁となりますが、今話題のウマ娘でウオッカとシンボリルドルフとのイベントなどもあると面白いですね。
2.3. 引退後の繁殖生活
ウオッカは2010年にドバイへの遠征を終えると、そのままアイルランドの牧場(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)に移り、繁殖生活を始めることになりました。初年度はシーザスターズ(2009年の凱旋門賞勝ち馬)が相手に選ばれました。
その後4番仔でタニノフランケル(父はFrankel)が生まれ、オープン馬としてG3の小倉大賞典で2着に入るなど活躍しました。タニノフランケルは引退後に種牡馬となり、ウオッカの血を繋いでいます。
まとめ
ウオッカはその輝かしい競走成績や独特の走りで、多くの競馬ファンに感動を与えました。また、その高い能力は血統背景にも大きく影響されており、現在も繁殖牝馬として活動しています。引退後も競馬界への影響力は衰えず、ウオッカは永遠の名馬としてその名を残し続けるでしょう。